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長岡城は「苧引形兜城」と呼ばれた。
兜城とは、大手口と神田口の二大城門が兜の「鍬形」のように開いており、城郭の形があたかも兜の「鉢」と「綴」のような形態であったためといわれている。
本校の校章は兜の「鍬形」と「商」の文字を図案化したものである。 |
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| 明治43年2月、長岡市議会において 『本市が環境の向進に適応し勢力の発展を期せんには基礎を商業教育に置かざるべからざる事』を審議し、満場一致をもって長岡商業学校を新設しました。長岡市立として発足した当時は、予科2年、本科3年の5年制であり、校舎も玉蔵院町市立高等小学校に併置され生徒数もわずかでした。大正10年に5年制だけとなり、12年には校舎を下中島町に移転し、漸く軌道に乗ってきました。 |
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| 昭和3年新潟県に移管されて新潟県立長岡商業学校に、昭和23年に学制改革により新潟県立長岡商業高等学校となり現在に至っています。また昭和54年には、水道町から西片貝町の広大な新天地に移転しました。 |
| 明治43年 |
長岡市立商業学校設立 |
| 昭和23年 |
県立長岡商業高等学校と改称 水道町に移転 |
| 54年 |
水道町から西片貝町に移転 |
| 61年 |
情報処理科新設 |
| 平成2年 |
新校歌発表会 |
| 7年 |
会計科新設 |
| 15年 |
総合ビジネス科、情報ビジネス科に学科改編 |
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長岡商業高校が今日までに輩出した2万2千余名の卒業生は、長岡市を中心とした地域発展の礎としてその期待に応えるとともに、政財界や教育・文化・スポーツ等の各界においても、よく活躍しています。
今日我が国は著しい科学技術の進展と産業経済の発展によって、世界に比類のない経済先進国としての繁栄を築き上げてまいりました。社会の情報化・国際化は一段と進展し、産業構造や就業構想をはじめとして、人々のライフスタイル、価値観等に大きな変革をもたらしています。このような社会の大きな転換をむかえて、わが国が将来に渡って、活力に満ちた産業経済を維持し、国民生活の向上と安定を図っていくためには、科学技術の開発と並んで、社会の変化に主体的に対応できる国際感覚豊かな人材を育成する必要があります。そのため、社会の進展と要請に的確に応えられる商業教育の充実・発展が強く望まれているところであり、この時にあたり「産業人としてこの実力を涵養する」ことを教育目標として、経済社会に雄飛する人材を送り出す本校の使命は大きいものがあります。 |
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入学式、始業式、新入生オリエンテーション
クラブ紹介、創立記念行事 |
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中間考査、地区大会
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高等学校総合体育大会
体育祭、自転車街頭指導 |
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期末考査、求人票公開
終業式、夏季休業 |
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インターハイ、各部合宿
中学生一日体験入学 |
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始業式、就職試験開始、自転車街頭指導
地区大会 |
長商祭
中間考査、修学旅行 |
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大学推薦入試、生徒会役員選挙 |
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期末考査、クラスマッチ
終業式、冬季休業 |
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始業式、株主総会 |
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推薦入試、学年末考査 |
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卒業式、終業式
高校入試・合格発表、新入生登校日 |
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| ・新校歌 |
作詞 窪田 章一郎
作曲 平井 康三郎 |
1.源はるか悠々と 水きよらかに北越の
平野ながるる信濃川 恵みゆたかに天地に享けて
われらは学ぶ 長岡商業高等学校
2.年々揚ぐる長岡の 信濃川原の大花火
豪気優美をこころとなして 国の繁栄世界の平和
われらは目指す長岡商業高等学校
3.雪の冬過ぎ春来れば悠久山に咲くさくら
高き理想にいそしみて広き世界に使命をにない
われらは励む長岡商業高等学校 |
| ・校歌 |
作詞 元校長 大山 登
作曲 元教諭 野津 雲越 |
1.煤煙迷い吹雪ちる 兜城城下のただ中に
時は明治の四十三 商神天降り宮造る
2.北にそびゆる弥彦山 西に流るる信濃川
山はゆるがぬ士魂にて 水は淀まぬ商才ぞ
3.商機戦略異なれど 勇む心ぞ分ちなき
謙信蒼龍それ以来 北越男子の意気高し
4.忠孝信愛身に守り 学びの業をいそしみて
富国の大任にないつつ やがて尽さむ世の為に
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